| 公務員は年に4回も"ボーナス"をもらってる。 タイムカードもないし、天国ですよ彼らの社会は (『ゼニの幸福論』より引用) |
||
| 日本の資本主義は、ちっとも平等の原則が生かされていない。きちんとした競争原理が働いていない。 だから、ますます幸福が片寄ってしまうのである。 金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏になっていく。 貧乏人はなかなか幸福にはなれない。 僕たちが生きているのは、こういう世の中や。 いつでも、どこでも、何度でも繰り返すが、公務員というのは、ラクな仕事である。 新聞の三行広告で見つけた職場では、ちっとも幸福なんか見つからないが、公務員として就職できれば、もう幸福一直線。大蔵省の高級官僚や日銀の行員にでもなったら、高級料亭の接待でもノーパンしゃぶしゃぶでも、行きたいほうだいやないか。どうせ、発覚したのは、氷山のほんの一角で、あんなのは日常茶飯事にきまっている。 はなはだ強い皮肉をこめていえば、 "日本で幸せになりたかったら、公務員になりなさい" ということである。 大丈夫、ちょっとぐらい悪いことしたって、見つからなければ、それでええんや。かまへんかまへん、かなりの数の公務員が、ええ加減なことをしてるんやさかい、あんた1人くらいどうってことない。なにも高級官僚になる必要なんか、さらさらないんやで。市役所でも町役場でもおいしい思いはたっぷりできる。カラ出張で税金をピンハネしたり、食糧費の名目で飲み食いしたって、お目こぼししてもらえるよってに ― と、悪魔はささやくはずだ。 僕は実は、若いころ、ちゃんと採用試験に合格して、三ヶ月だけ町役場に勤めたことがあった。 あれはラクやったなあ。 なにがいちばんラクかというと、公務員にはタイムカードがなかった。たぶん、いまでも、ほとんどの官庁や役所、役場でタイムカードがないのではなかろうか。 タイムカードがあれば1分でも遅れたら遅刻である。 当然、勤務評定、人事考課に影響が出る。 給料もボーナスも、査定が下がってしまうやろ。 民間の企業では、当たり前の話や。 ところが、タイムカードがなくて、出勤簿だけなら、5分や10分の遅刻なんて、ぜんぜん問題ではない。そんなこと関係ないのである。 出勤簿には、ハンコをつけばよいだけだ。 僕は、朝、出勤したとき、ハンコを押すのをよく忘れた。すると、総務担当の人間がやってきて、 「青木君、ちゃんとハンコをついてもらわんと困るなぁ」 という。 「あっ、すいません」 とか頭をかいて、1週間分まとめてハンコを押せばそれでことがすんでしまった。なかには、休んだ日の分まで押したことだってあったかもしれない。僕だって、税金のおいしい部分をもらったことがあるのである。 公務員の綱紀粛正をいうなら、カラ出張や食糧費の接待ではなく、まず、タイムカードを設置することから始めるべきである。 こんなことを言うと、たぶん、ほとんどの公務員や役場の組合からは、反対の声があがるやろう。「締め付けや」とか、なんとかかんとかな。 けど、日本のほとんどの企業には、現実問題としてタイムカードが設置されているのである。 だとすれば、平等の原則からいって、公務員だってタイムカードを導入して、職場の勤務管理をきっちりするべきではないか。いや、公務員は税金で食べているのである。日本人の手本にならんといかんやないか。むしろ、率先して、自分たちを律するべきである。 ただし、これを実現させるのは、全ヨーロッパを統一するよりも困難だと思う。ナポレオン以上の強権発動者が登場しないことには、そんなもん、優雅な生活を満喫しているあの公務員たちが導入するはずがない。 公務員というのは、それぐらいにのんびりと甘い仕事を楽しんでいるのである。 僕だって、公務員をしていたときは、ほんとにラクで幸福だった。 何がラクかというと、そもそも仕事の量が少ないし、急ぎの仕事なんか1つもないのである。 そらなぁ、公務員に言わせたら、 「そんなことない。役所でも忙しいぞ」 と、反論が来るかもしれないけど、喫茶店のボーイやコピー機のセールスマンが肉体と気配りを働かせ、あくせく汗を流している仕事量に比べたら、ず〜っとず〜っとヒマである。ほとんど遊んでいるに等しい。労働の"強度"が違うことを見抜かねばな。 さらに公務員が恵まれているのは、ボーナスが年に4回も出ることである。 夏と冬のボーナスは、一般企業と同じや。 ところが、市役所や町役場なんかでは、"一時金"なんていう名目で、実質的なボーナスを支給しているところがある。ほんまに許せへんと思わへんか? それに、公務員は、カラ出張やらいろんな名目でゼニをストックしておいて、それを自分たちの飲み食いに当てているのである。他にも清掃局のゴミ収集車に乗っていれば雨の日に"雨手当て"が支給されたりと、数えたらキリがない。 こういう"ラク"は、やはり許せないのである。 それも、世の中全体が景気のよいときならまだ腹も立たないが、民間企業では残業代がカットされたり、ボーナスが出なかったり、そればかりか、基本給さえ削られるご時世なのである。 そんな時代に、公務員のように安穏とした幸福な生活を見せつけられると、やはり嫉妬心と敵がい心が燃えたぎってしまうのである。 こんなにラクをして幸福をむさぼっている人間は許しがたい。 |
||
本を購入したい方はこちら
|
| 就職こそ新たな競争社会 (いじめ社会)の出発点!(『銭道』より引用) |
|||
@なぜ公務員を勧めるのか? 一言で言えば職業には「仕事の強度」、つまり仕事をする上での肉体的および精神的な負担の差が歴然とあるからや。
同じ1時間の仕事でも、強度が弱く、賃金が高い方がいいに決まっております。このことを親は経験で知っている。だから親というものは、子供をいい職場=強度の弱い職場に入れたいと願うが、子供にそのことをうまいこと説明できん。せいぜい「マーくん、いま勉強しとかんといい暮らしでけんのやで!」くらいと違うか。こんな説明では、子は腹をすえて勉強する気にならんで。もっと具体的に言わな、胸に染みんで。 つまりこんな具合です。「どんなボンクラでも必ず売らなければ生きていけないものがあるんやで。それは労働力や。マルクスの。『資本論』では、この労働力を『1人の人間の肉体、すなわち、人間の生ける人格のなかにあって、何らかの種類の使用価値を生産する場合に、人間が活動させる肉体的、精神的能力の総体である』と定義しているんやけど、これを会社員にたとえるとこうなるのよ。 電車に揺られて朝9時に出社。部長に呼ばれて午後の会議用として、得意先のクレーム処理資料を作る。会議で部内の人間に資料の説明と今後の対応の打ち合わせ。部長からの小言と説教。得意先との電話での折衝ののち、すぐさま部下を連れて得意先へ。得意先担当者に頭を下げて、その担当者を連れ出して、接待。接待後、部下を連れていきつけの飲み屋でつい愚痴を言う。自己嫌悪を抱きながら会社に戻り、報告書を書き部長の机の上に置く。終電に乗って帰宅。 この1日の労働で生じた精神と肉体の疲労こそが、労働力なの。労働者は、この労働力を使って、一生を働いてすごさないといけない。せやから労働で生じた肉体と精神の疲労、消耗は、少なくとも翌日までには回復させておかんと労働者として生き延びていけんことになる。おのずと強度の激しい労働を選んだ子は、不利や。つまり、いま勉強せなんだら、銭を生み出すアンタの労働力が、1日では回復でけんような、強度の激しい職場につかなならんようになるのやで、マーくん」と言えばいいのや。 デスクワークと肉体労働ではまったく強度が違うと以前書いたことを覚えてますか。 A同様に一般企業の社員と公務員とでも、仕事の強度には差がある。もう一度よく考えてみて欲しい。
ここに大手の一部上場企業に就職できた若者がいる。彼の初任給が20万円。30歳で、35万円前後までべースアップして、さらに1日6時間の残業をいとわずにやれば、残業手当てが1時間2千円ついて、月収は60万円や。会社の業績もよく、ボーナスと合わせて、何とか1千万円の大台に乗った。これは肉体労働にくらべれば、断然おいしい給料なわけや。 しかしそれでも公務員に勝てるかと言うたら、僕は「勝てない」と結論する。一部上場企業や銀行、マスコミといったところは、いったん入ればラクちんのように見える。しかしそれは、中小一般企業と比べてのことで、仕事の強度でいったら、公務員よりも相当にハードやで。一般企業の彼がこの給料をも追うために、いかに多くの時間を会社に差し出すか。さらにはどれだけの労力と精神的負担を費やしているかを考えた方がいい。一般企業は会社の収益が上がらないことには話にならん。だからこそ社員に大なり小なりノルマを課している。仕事は本来なら1日のノルマさえこなせば終わりにしてもええんやけど、ニッポンの労働者たるもの、仕事のカタがついたからと言って「ほなお先に」と簡単には言えん。周囲に合わさんと出世にも響く。 何度でも言うがこの世は競争社会や。学校が作り出す偏差値教育で、一生があらかた決まってしまう。偏差値の低い人間は、給料でも待遇でも割の悪い仕事が待ってるのは、周知の事実や。そして一般企業への就職は、それがどんなにめぐまれているように見える職場でも、新たな競争社会への参加にほかならんということも忘れてもろたら困るのや。競争で消耗する体力は相当のものがある。しかも倍の労力使ってなんとか収入が倍になるんやったら、まだ人間は働くが、Bその業種が衰退して、労力に賃金が見合わなくなったら、悲劇や。
それでも一般企業に行きたいというんやったら、僕はもう止めん。しかし忠告しておきたい。まず『会社四季報』を買って業績を調べなさい。その会社に直接行って、会社の雰囲気を確かめなさい。その上で次の4点をチェックするのや。 |
|||
本を購入したい方はこちら
|
| 労働の強度がキミのやる気 と銭を奪っているのや!(『銭道 さすらい編』より引用) |
||
| 就職する者、転職する者に対して、常日頃から僕はこんな事を言っております。それは「就職をするのなら、労働の強度が弱い公務員を選べ」ということです。ある時、そう主張する僕に対して読者から一枚のハガキが届きました。 「青木先生、職業に貴賎があることは薄々感じていましたが、労働の強度の弱さに重点を置いて選ぶのと、公務員であるかないかに重点を置いて選ぶのとでは、どちらを優先すべきでしょうか?」 確かこんな内容だったと思います。 いま全国には、343万人もの失業者がひしめいており、再就職活動に励んでおられます。ひいては銀行が不良債権処理を断行することで、この2〜3年のうちに新たにもう数百万人のさらなる失業者が生まれようとしておりますから、僕はここでもう一度声を大にして、このように訴えたいと思います。 「労働の強度の弱さを最優先しなさい」と。 どの業界、業種にも、労働の強度の差異というものは、存在します。 それは実は公務員も例外ではないからです。介護など福祉業務に現場で従事する職員ともなれば、本当に心身ともに大変な生活を強いられるからです。しかし、それでも公務員であれば、まだマシです。給与にそれほどの差が出ないことがその理由。 一般企業であれば、労働の強度がキツイ仕事というのは、たいていは給与面でも待迎面でもなぜだか低いことになるのです。平等の原則であれば、「働きの度合いに応じて分配されるはずの富」が、資本主義ニッポンでは、そうはなりません。働かせる側、上につく側がまずいい仕事といい給料を取っていき、最後に残ったいやな仕事(必然的に強度の強い仕事)を下の者が奪い合う仕組みになっておるのです。 小泉内閣がいま取ろうとしている改革は、エラソーな官僚たちや旧態依然の不正体質を色濃く残す族議員ども(すなわち税金ドロボーたち)をやっつけているシンボルのようで、一見心地良く見えるのですが、内実は、お金持ち優遇の政治であって、キミらがそれで潤ったり、幸せになれることはありません。 簡単に言えば、構造改革の中でやろうとしていることは、まず金持ちにもっともっと儲けさせ、精一杯金持ちを元気にして、「そろそろ失業者たちを雇ったろか」と思わせることで、貧乏人の雇用を増やそうとしているにすぎないのであります。 こういう時に、キミらが自らの身を守るために取るべき道はたった1つしかないのです。それが、「二度と強度の強い仕事にはつかない」ということですわ。 |
||
本を購入したい方はこちら
|